2012年10月23日火曜日

2012年5月16日水曜日

天孫降臨


今年は古事記編纂1300年になる年です。


宮崎は特に天孫降臨の地で、
邪馬台国は現在の西都原で卑弥呼(推定90何歳で死去)は天照大神です。

卑弥呼は宮崎の阿波岐原で、
イザナギノミコトとイザナミノミコトの子供として生まれ、
祝詞
{築紫(九州)の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原(アワキガハラ)で禊(ミソギ)して}
とあるのです。
このように神話の随所に日向の地名が出て来ます。

(※日向とは、昔の地名で、現在の宮崎、鹿児島を日向の国と呼んでいました。)

初代天皇の神武天皇は、
日向の国で、現在の鹿児島県大隈の柏原の生まれです。
日向でお生まれになり、当時の呼び名は伊波礼彦(イワレヒコ)

伊波礼彦(イワレヒコ)は、天照大神の孫に当たります。

天照大神の末子である、
ウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメとの間の末子で、
大和(奈良)へ養子に行き、
伊須気依姫(イスケヨリヒメ)と結ばれ初代天皇に即位したのです。

その時代は、末子に相続権がありました。
その当時はモンゴリアンの影響が強く、
モンゴリアンの風習であった末子に相続させる事になっていたのです。
その証拠にジンギスハンも末子のツルイに相続し、
ツルイは末っ子のフラクに相続させています。
ツルイの次男フビライは満州へ来て別の国を建てる。

現在のように長子が相続するようになったのは、
応神天皇を相続した仁徳天皇(長子)からです。
これには悲しい実話が残っています。

末っ子の弟のウジノイラッコが、
父の応神天皇の命で、皇太子になり、
論語をもって皇太子教育をしました。

孔子の論語では、
親は親、
子は子でしっかりしなくてはならない。
兄は兄で、
弟は弟で、
弟は兄に従わなければならないと教えがあります。

弟は非常に頭が良く、論語の序を重んじる教育を受けました。

ですが、
日本国では末子が相続する風習でしたので、
応神天皇はウジノイラッコに相続させようとしました。

しかし、
論語を学んだ弟は、
長男が相続するのが正しいと思い始め、
自分が居なくなれば兄が相続する事が出来る。
と、宇治川のほとりに住んでいた弟が宇治で自殺をし、
長男である仁徳天皇に相続を譲るという、
何とも悲しい出来事があり、
この出来事からは長子が相続するようになったと言われています。

兄の仁徳天皇は、弟の自殺を惜しんで、
住んでいた宇治川の西岸に宇治神社に建て、祭ったとあります。


しかし、
神武天皇の時代は末子が相続する風習なので、
日向より他の地、大和に数年をかけて、
その地の豪族の養子になり、
初代天皇に即位したということは、
当時いろいろな出来事あったのではないかと推測されます。
陵は明治天皇が神武天皇のかかわり地である
奈良の柏原(誕生の地も鹿児島の柏原)に陵を建立し
橿原神宮として現在祭られています。
宮崎にある宮崎神宮は神武天皇が大和へ向かう時、
陣を整えた地であり、そこが初代天皇の起点であるからだと思います。


神話を紐解きますと深みに填まります。
ミミズの研究と同じみたいで研究心を湧き上がって来ます。
特に宮崎の子供たちには、
自分たちが生まれ育てられた地が
いかに日本の歴史に重要であったことを学び、
後世に伝えて貰いたいです。
私も孫たちに伝えたいと思います。

(以上の事は、私が読んだ書物、聞いた話を要約したものですので間違いがありましら、ご勘弁下さい)

それでは、ミミズの研究と神話の勉強を頑張り、後世へ伝承します。

2012年4月23日月曜日

6番目の孫「龍」

6番目の孫は、
10月で3年になるド―ベルマンの雄で、
名前を「龍」と言い、やんちゃな力持ちです。


我が家に来ることになったのは、
前飼っていた土佐犬で名前が「チビ」だったんですが、
他界したからです。
大きい身体なのに娘には子犬ように甘えるので、
可愛がっていましたが、
13歳と高齢だったのか、
ある日突然体調を崩し3日で亡くなりました。

急に居なくなって、初めて存在の大きさを感じ
心の隙間をなくすために代わりが欲しいということになり、
インターネットで探した結果、龍とめぐり会いました。

また不思議な事に、龍が生まれた日が2009-9-8で、
チビの亡くなった日が2009-9-9と翌日で、
命のリレ-、絆を感じるようで
生まれ代わりでの出会いかと何か感じるものがありました。
我が家には生後1ヶ月で来ました。
3ヶ月までは屋内で飼いましたが、
大きくなりサークルを乗り越えるようになったので、
庭に小さな運動場付の小屋を建て外で飼っています。
屋内から外に出しました時、
泣くのではないかと思いましたが、
屋内で寝る時に使用していた
毛布、枕を小屋に入れてやりましたら鳴くこともなく、元気はつらつです。


龍もまた娘に甘えて、
体重が40Kgぐらいあっても
小さいころのように膝に乗るようにしますが、
大きいのでお尻をチョコンと乗せて満足しているようです。
大型犬は寿命が短いと言われています。
長生きに挑戦するため毎日、
ミミズ屋さんの愛犬ですので、
飼い主と同様、自社製ミミズ健康食品「龍華」を与えています。
そのせいか元気がよく散歩に連れて行くのが大変です。
柵に前足をかけると頭の高さが150cmぐらいになりますので、
じゃれて飛び掛かって来ますと、こちらの方が倒れそうになります。


龍の行動で面白いのは、
小屋の中に毛布を敷いているので昼間、
自分で運動場に銜えて来て、その上に寝て、
夜になると、小屋へ銜えて帰ります。
子供がぬいぐるみ・タオル・枕等がないと眠れないのと同じみたいで、
毛布に触ろうとすると銜えて離しません。
自分のだと主張しているみたいです。
月に何回か干してやろうとしますと取り上げるのが大変ですし、
見えるところに干せないのが厄介です。


ドーベルマンは走ることが大好きで
先日散歩で走りましたら、
私が左太ももの裏の筋肉を軽い肉離れを起こし立ち止まり、
しゃがみましたら龍が心配し駆け寄って来て
顔をペロペロ舐め様子を伺っているのを見ますと
体に似合わず優しい奴です。

ドーベルマン

怖いとの印象がありますが、
我が家のドーベルマンは気が優しくて力持ち、
子供が大好きで散歩中に良く会う子供たちが
寄って来て頭を撫でて貰うと
短い尻尾をピコピコさせます。
しかし、龍は大丈夫ですが、
他の大きな犬も大丈夫と子供達が思うといけないので、
龍は、咬まないけど他の犬は咬むかも知れないよと言っています。


まだまだ龍は子供ですので、
エピソ-ドも色々あります。
またの機会にご披露します。

龍お座り。じゃ-また。

2012年4月11日水曜日

今しかない。



春うらら
幼稚園から大学まで入学シーズン
また、入社シーズンも終わり夢と希望を胸に、それぞれ新生活が始まります。

そこで今回は長いようで短い人の一生の年数配分を
大まかに計算してみようと思いました。
男性を例に平均寿命80歳として、
誕生・学習・知識の習得期間を大学までとして22年、
定年65歳までの就労年数43年、
老後年数15年です。
80歳まで生きますと
睡眠に要する年数は約22年(睡眠時間一日6時間半)だそうです。
すると学習期間の睡眠年数約6年、
学習年数16年です。
就労期間は43年で、睡眠年数約12年、
一日10時間労働で就労年数13年、
残りは、予備年数(通勤時間、家庭サ-ビス時間等)18年です。
老後期間は15年で睡眠年数4年、
自由年数11年(下手すると病気、寝たきりで、無くなることもある)です。
80歳以上生きれば老後が就労年数を超えることになります。
実働年数は、どの時期でも粗同じです。


国の為、会社の為働き続けなくてならない人達は別として、
一般的は、ぼやぼやして無駄な時間の浪費で人並みの老後の暮らしが出来ず
食べる為のみで働き続ける事になり兼ねません。
人生をどのように送るかは自己責任です。
幸福感も人それぞれです。
人生を如何に過ごすかの基礎となる16年間の幼児から小学校低学年
10年間の家庭教育が家の土台みたいなものですから大切になるのです。
親子ともども、あーでもない、こうでもないなどと言っている時間は有りません。
昔は人生50年と言われていましたが、
今でも人生を築く実働年数は、そう長くはないのですから
一日を無駄なく過ごすかです。
若いから時間が有ると思っている人は、
後で時間が無いと悩むことになるので、
今の時間を将来のため無駄なく使うかが大事なのです。


人間一人では生きられないのですから
自分のためばかりでなく
社会のために貢献出来る努力もすれば
結果は後から付いて来るのでしょうが、
運も必要かも知れません。
しかし、貧富の差は努力の差でもあると私は思います。
初心を忘れず、驕らず頑張ることです。
あの世から帰り、やり直した人は誰も居ません。
報道関係で一部の若者の行動のありようを見聞きしますと
何を考えているのかと思います。
子供は生んでくれと頼んだ訳でない。
親は頼まれていたら生まなかった。
これは冗談ですが、
生まれる時も一人、死ぬ時一人です。
周りの人に迷惑をかけないようにするには、
若い内に生きる努力をしなくてはならないでしょう。
歳を取ってからの苦労は若い時の何倍も身に応えます。
若いころの苦労は買ってでもと言います。
現実の社会で生き抜くは並大抵ではなく、それが人の世と言うものでしょう。


だから心ざしをしっかり持ち、
限られた時間を如何に効率よく消費、
楽しい思い出を残し、
余生で無く未来を楽しく生きるため努力の結果を感じながら
毎日を過ごすことではないかと思います。

若者よ、努力するのは「今しかない」。今が将来、未来に繋がる。

それが67年間、生き抜いて来た、おっさんの独り言です。

有限会社輝龍

2012年4月2日月曜日

ミミズは宇宙


会長の石井です。


ミミズの研究は、宇宙を探査する新しい惑星を発見するようなものです。
発見したら調べてみたくなり、とことん追求したくなります。
追いかけて追いかけて、
思っていたような結果が出ない時もありますが、
出ない事もまた、発見ではないでしょうか。


イトカワに行って帰って来たハヤブサのように、
7年もの困難を乗り越え目的を達成しました。


ミミズの研究も十数年の紆余曲折を乗り越え一部の目的は達成しました。
しかし、まだまだ、ほんの少ししか解明されていません。
進めば進むほど、どんどん新しいものが出てきて、
次から次へと課題を与えてくれます。
進むほどに、神秘の力に遭遇し、先の見えない迷路に明かりを灯して、
ゴールなのか、次へのステップなのか、
飽きさせる事のない神秘の生き物です。
私は、この神秘の生き物ミミズに出会い、そして現在、
これからの将来の時間で、
この生き物、ミミズの事を考えない時間はないでしょう。

先が見えない神秘の中で、
長年、ミミズと向き合ってきた経験から、
本当だったら凄い!
と言う感じ、または、感覚に襲われます。

これまでの治療、製薬の開発に役立つと共に
枯渇する化石資源から製造される薬に換るものになる!という感覚から、
たくさんの研究をしてきました。
その時々では、無駄だと思われたりした事も、
やがては、役に立つと信じしてきた事の積み重ねから、
確かな足音が聞こえてくるような感触が出て来つつあります。
研究結果は多目的な治療に関係すると思われます。
昨年、福島で起きた原発の事故により
被爆したことによる後遺症が4~5年後には、
チェルノブイリで起きたようなことが起きるのではと言われています。
大変なことです!
いろんな角度から、何か役に立つ事はないか模索している中、
自論を呈するなら、
ミミズは4億年前から天変地異を乗り越え
現在も何も無かったかのように生存しています。
その間、致死量ほどの強い放射性物質を被爆したと推測されます。
しかし、ミミズは生態に何の変化も無いんです。
それは放射性物質から身を守る手段、適応性を備えているのではと思われます。
私はそこに着眼点をおき、これからの研究テーマとして掲げています。
これも進めれば解明され凄いことと期待をしています。
何か良いもの見つけ出すのも大変ですが、
それを世のため、人のために役立てるのも大変です。
登山も登頂すれば終わりでなく、下山して登頂となるように、
ミミズの研究を宇宙に譬えたのは、
ミミズが長さ8cm、体重0.5gで、
その秘めた神秘さは計り知れないからです。
これからも果てしない宇宙を探査し、
惑星を発見するような研究を続けていきたいと思っています。


しかし、私には時間が足りません。
限られた命であるからこそ、
私は、私の限られた時間の中で、ミミズの研究に没頭し、
ミミズの神秘へ近づく事が出来ています。
ですが、ミミズを解明し尽くす事は、出来ません。
ですから、新しい時代へ、私の研究のすべてを移行していく事も、
これからのミミズ研究には大切な事です。
既に後継者を育て、一緒に研究を継続しています。
研究は努力の積み重ねですが、
でも遣り甲斐のある仕事で毎日、喜怒哀楽があり楽しいものです。

これもまた、ミミズがくれたものです。

有限会社輝龍

2012年3月24日土曜日

SK末

会長の石井です。

前回は、家族の絆が生み出した製造方法でした。

今回は、SK末についてです。

ミミズは4億年前から地球上に現れ、
多くの天変地異を乗り越えて生き続けてきた、
真に神秘な生き物です。

ダーウィンは、
「種の起源」に
「最も強いものが生き残るのではなく、
 最も賢いものが生き延びるわけでもない。
 唯一、生き残るのは変化できるものだけである。」
と記述しています。

確かにミミズは適応性に優れた種であると思います。
環境の変化に変化し対応していなければ、
4億年という長い年月を生き抜いてこれなかったでしょう。


これまでも、ミミズの乾燥粉末製造方法の特許を取得してきましたが、
SK末に関わる特許は一区切りの集大成に位置付けるほど、
今までに無い乾燥粉末です。
それは、ミミズの持つ優れた適応性を今まで以上に発揮出来る環境を作り、
人の命を救う成分を体内に多く含む事が出来る養殖方法を研究開発した結果です。


植物が太陽に向かって成長していく性質がありますが、
ミミズが適応性に優れているのも同じで、
生き抜くための術です。
環境の変化に応じて、よりその環境にあったミミズとなり、
その環境で生き抜く術をその小さな細い体内で行っているのです。
そんな性質をもっているからこそ、
養殖技術の発展に伴って、SK末となるミミズの養殖に成功したのです。

そのミミズの性質は巧みの技と言ってもいいでしょう。

そのミミズの巧みの技と、
成分を損なわず粉末化できる当社の技術で、SK末が誕生したのです。
以前のものとの差は、一度食して頂ければ実感して頂けるものと、
確信しております。

有限会社輝龍

2012年3月19日月曜日

地下足袋

会長の石井です。

前回、地下足袋の話で締めくくらせて頂きましたが、
どうも、足りないきがしますので、
今回は、地下足袋の話ではじめさせて頂きます。

当初、ミミズの研究を始める目的となっていたのは、
コンポストについてです。
ミミズの餌に生ゴミを与え、生ゴミを処理し、
出てくる糞土を肥料に使用するという、リサイクルの研究です。
そこで、餌集めは、残飯回収ですので、
日曜日には子どもを軽トラに同乗させ回収の手伝いをさせたりしていました。
そんなお手伝いをさせていると、
子どもが小学校の作文に、
「お父さんの仕事は残飯集めです」
と書いてしまい、この頃、私はPTAの会長をしており、
学校中でこの事が広がり、親たちから会長はお仕事何をされているんですか?
と聞かれる始末です。
子どもは正直ですから、日頃しているお手伝いをそのまま作文にしてんでしょうが、
同じ子を持つ親、しかもPTA会長は一体何をしている人なんだろうかと
心配になるのは当たり前の事でしょう。
この事で、たくさんの人にミミズの説明をする事になったのですが。

そんな研究を始めたころは、お金もなく、安くて機能的な靴が地下足袋だったのです。
学校ではPTA会長で、運動会などでは朝礼台に立ってあいさつをします。
しかし、子供の目線の高さは、ちょうど足元くらいです。
子供たちから見える足元は、地下足袋です。
子供たちの間でも、石井のお父さんは、土建屋さんかお百姓さんなんじゃないかと。
私の子供は、返答に困ったようで。
確かに、子供が説明するには難しいし長い話になりますから。


そんな当初の目的からあるきっかけで、
ミミズの秘めた力を発見する事になり、
どういう方法で使用すればいいのか、また、製造すればいいのか、
そんなミミズの研究目的ががらりと変わり、
人の命にかかわる事が研究のテーマとなりました。

それから何年もかけ、凍結真空乾燥装置のテストプラントを設置し、
前処理の方法、凍結温度、真空の強さ、
加熱温度とそれぞれの処理時間を試行錯誤しながら、
また、それから1年をかけ、特許が取得できる製造方法を確立させたのです。


その過程で、子供たちにもミミズの洗浄の手伝いをさせたり、
夜、子供を寝かしつけて工場に夫婦で行き、
徹夜をして実験の繰返しをしていました。
今思えば、良い思いでになっていますが、
よくよく考えますと家に子供たちだけを残していた事は、
自然災害や火事、災難等に遭遇なく、何もなかった事が不思議なくらいで、
良かったなと胸を撫で下ろす思いもあります。

大げさに言えば家族の絆が生み出した製造方法かもしれません。
だから、ミミズへの愛着は人一倍持っている家族だと思います。
なので、
地下足袋は私がミミズの話をする時に無くてはならないものになった訳です。


2012年3月16日金曜日

初心を忘れず

会長の石井です。

前回は今まで食べたミミズの食べた量の話をしました。

今回は、研究の話をしたいと思います。
当社グループ会社である Well Stone有限会社で、
研究開発をし、特許を取得しています。
現在、なるべくミミズの命を無駄にしないように出来ないだろうか。
そんな想いで、研究を進めていました。
試行錯誤、たくさんの失敗をし、頭を悩まし、
意見を出し合い、たくさんのことに挑戦してみて、
やっとの思いで、開発に成功しました。

やった事がないことに挑戦する事の困難さは、
このミミズという生き物に出会った頃からの事なので、
悩むというよりも辿り着いた時の喜びは言い表せません。

そんな研究開発を進めていく中、

当初よりミミズの量が四分の一でも、酵素の力はそのまま!

そんな製造方法を確立し特許を取得しました。

企業は利益を伴わないと倒産します。
しかし、生き物の命と引き換えに経営が成り立つ企業には、
生き物に対する尊さが何より無くてはならないと思います。
生き物を糧とする職業には、
農畜産業、漁業、漢方などがありますが、大根も生き物です。
人間は万物の霊長として一番上にいるからこそ、
感謝の気持ちを人一倍持たなくてはならないと思います。
それぞれ携わる人々は、その命の最高の評価を得るため日夜努力しています。
それでも、鳥インフルエンザ、口蹄疫と生き物たちを苦しめます。
また、それに係わる事業者たちや消費者にもその影響は出ます。
命の尊さや毎日食するものの大事さ、感謝の気持ちを改めて感じます。

当社を生き物を糧に事業をしています。
生き物の命の重さは同じです。
何かのために誰かのために生まれ死にゆきます。
私の糧であるミミズは、人のために命を失くします。
命の重みを感じ、肝に銘じて日夜努力しなければなりません。
だから私は、
「初心を忘れる事無かれ」
と、ミミズに対して驕る心を戒めるため、
国内外どこへ行く時でも、
地下足袋を履いて自分に課せられて職責を毎日黙々と歩んでいます。
地下足袋にそんな想いを込め、
今日もミミズと向き合いより良いものを目指すのです。

有限会社輝龍

2012年3月15日木曜日

只今43kgです。

会長の石井です。

私はミミズと出会い36年になります。
当初より実験を含めミミズ乾燥粉末を食していましたので、
今月でミミズの数にしますと、
約86,055匹で、総数量にして、約43kgになります!
今年で67歳になり、
人生の半分以上、毎日欠かすことなくミミズを食べ続け、
平均寿命に達するころには、
約105,035匹で、総数量にして、約53kgになります!
世界広しといえども、
ミミズをこれだけの年数、これだけの量を食べ続けているのは、
現在、私だけではないだろうかと思っており、
ギネスが狙えるのではないかと思っております。
私の寿命は、後3~40年はあろうかと思っておりますので、
現在の約倍程度の量は食するんではないかと思っております。


今までも
ミミズは、
死んで人の命を救ってきました。
そして、その命を無駄にしないためにも
ミミズの秘めた素晴らしさをもっともっと解明していくのが
私の使命ではないだろうかと思っております。
それが、今までのこれからの
ミミズへの恩返しではなかろうかと信じておりますし、
その良さ、素晴らしさを世の中に伝えなくてはと思っております。


ところで、私の寿命からは若干短いんですが、
100歳までには、
ミミズ約153,215匹で、総重量にして、約77kgになります。
一升枡に換算しますと、
約77杯です!


では次回また。

有限会社輝龍

2012年3月13日火曜日

はじめまして

はじめまして。
輝龍のブログです。
ここでは、ミミズの事やその他、日々の出来事など、
いろいろな事をお伝え出来ればと思います。

輝龍は、ミミズ粉末の製造メーカーです。
より良い商品をお客さまのもとへお届けするため、
日々、努力しております。
たくさんの方々の健康をサポート出来るものを作り出したい。
遠い未来も見据え、日夜、研究に取り組んでいます。

ミミズの秘めた力を研究し、
ミミズの持つ力を最大限引き出す製法で、
ミミズからの力をそのまま余すことなく、
人へと、ミミズの命のバトンを。

ミミズの秘めた力は無限大で、
その力は、あの小さな細い体からは想像もできないほど、
スケールの大きいものです。

そんな夢のある生き物に出会えた事は幸運で、
また、研究することが出来るのは、
ミミズのお蔭です。

日々、命の大切さを思いながら
感謝の気持ちを忘れず、
お客さまのもとへより良いものをお届けするため、
研究開発に取り組んでいきたいと思っております。



これからも末長くご愛顧頂けるよう頑張ってまいりますので、
今後とも宜しくお願い致します。


有限会社輝龍